企業概要
沿革
神戸市三宮においてウォルシュ氏兄弟が経営していた製紙会社を岩崎久弥が譲り受け、合資会社神戸製紙所を設立し洋紙の抄造および販売を開始。(当社の創立)
神戸市三宮から、兵庫県高砂市に工場を移転。(現在の高砂工場)
上質紙「金菱」の製造を開始。
社名を合資会社三菱製紙所と改称。
台湾に台湾三菱製紙所を建設し、亜硫酸法による竹パルプの製造を開始。
台湾三菱製紙所を閉鎖。
東京都葛飾区新宿に中川工場を建設。
組織を株式会社に変更し、社名を三菱製紙株式会社と改称。
アート紙の製造を開始。
本社を兵庫県高砂市から東京都千代田区有楽町に移転。
バライタ原紙(写真用原紙)の抄造開始。
京都写真工業株式会社と合併。写真印画紙に対する京都試製工場とする。(現在の京都工場)
浪速製紙株式会社と合併。板紙の抄造に当り浪速工場と改称。
三菱製紙労働組合連合会が組織される。
各場所労働組合を合併して単一組合とし、三菱製紙労働組合と称す。
蛍光剤を使用した印画紙「月光V」(青黒調)を発売。多大な反響を呼ぶ。
三菱製紙健康保険組合設立。
米国The National Cash Register Co.と日本国内のNCR紙の製造につき技術提携契約調印。
三菱カラー印画紙販売。
青森県八戸市に、八戸工場を新設。
白河パルプ工業株式会社と合併し、白河工場(現在の白河事業所)および北上工場(現在の北上ハイテクペーパー(株))を当社工場とする。
浪速工場を閉鎖。
中央研究所(後に商品開発センターと改称)を新設。
簡易製版印刷システム「三菱シルバーマスター」販売。
印刷センターを新設。
本社を東京都千代田区丸の内3丁目4番2号に移転。
技術開発センター(後に生産技術センターと改称)を開設、印刷センターを廃止。
筑波研究所を新設。(後につくばR&Dセンターと改称)
デュッセルドルフ(ドイツ)に、現地法人Mitsubishi Paper GmbHを設立。
ニューヨーク(アメリカ)に合弁販社Mitsubishi Imaging(MPM),Inc.を設立。
ドイツの製紙会社2社の株式を取得。(現在のMitsubishi Hitec Paper GmbH Bielefeld工場 および Flensburg 工場)
Mitsubishi Paper GmbHとドイツ製造子会社2社の持株会社としてMitsubishi Paper Holding (Europe)GmbH(Germany)を設立。
中川工場を閉鎖。
北上工場事業を分社化、北上ハイテクペーパー株式会社を設立。
富士フイルムと写真事業に関して業務提携。
王子製紙と情報用紙事業に関して業務提携。
中国に珠海清菱浄化科技有限公司を設立、中国でのフィルター製品加工事業を開始。
ドイツ製造子会社2社(Mitsubishi Hitec Paper Bielefeld GmbH および Mitsubishi Hitec Paper Flensburg GmbH)を統合、Mitsubishi Hitec Paper Europe GmbHを設立。
興人(株)の化学紙事業子会社であるKJ特殊紙株式会社を完全子会社化。
本社を東京都墨田区両国2丁目10番14号に移転。
エム・ピー・エム・オペレーション株式会社を設立。
王子グリーンリソース(株)と共同出資でエム・ピー・エム・王子エコエネルギー株式会社(持分法適用会社)を設立。
王子ネピア(株)と共同出資でエム・ピー・エム・王子ホームプロダクツ株式会社を設立。
王子ホールディングス株式会社に対する第三者割当増資による新株式の発行等を行い、同社の持分法適用会社となる。
高砂R&Dセンターを開設。
つくばR&Dセンターを廃止。
生産技術センターを廃止。
北上ハイテクペーパー株式会社を吸収合併し、北上工場に組織変更。
三菱ハイテクペーパーヨーロッパGmbHのフレンスブルク工場を売却。
白河事業所を閉鎖。
KJ特殊紙株式会社を吸収合併し、富士工場に組織変更。